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加害者家族を責める気にはどうしてもなれない

日本中を震撼させた「旭川女子高生殺人事件」と「江別市大学生暴行死裁判」の裁判が同時期に行われる前代未聞の2026年。
被告は20代前半から10代の男女というのが恐ろしい話です。しかも内容は凄惨の一言。壮絶なリンチの果ての「死」。聞いているだけではらわたが煮えくり返る思いでした。

これまた同時期に発生した「栃木強盗殺人事件」の実行犯も高校生だったこともあり、若者の凶暴化を感じずにはいられません。

例によってヤフコメは阿鼻叫喚の地獄絵図。SNSでも加害者への糾弾が止まることはありません。もはや恒例行事です。

そして、2026年6月4日両事件に加害者の家族が証人として出廷しました。もちろんこれに対してもヤフコメは総叩きです。自己弁護のため、口だけ。まるで家族もグルだったかのような言い様でした。

しかし、こういう時に僕はいつも思ってしまうわけです。なぜ加害者の家族までが叩かれないといけないのかと。

彼らもまた地獄のような苦しみを味わっています。しかも本人たちは何もしていないのに。なぜ更なる地獄を与える必要があるのでしょうか。

被害者の家族と加害者の家族の苦しみは別物

語る前にまずは「秋葉原通り魔事件」を起こした加藤智大元死刑囚の弟が残した手記をご覧ください。ここに僕が言いたい全てが載っています。

「秋葉原連続通り魔事件」そして犯人(加藤智大)の弟は自殺した

要約すると次の通りです。

  • 両親に原因はない。あるとすれば、僕もまた事件を起こしているはずだ。むしろ僕は両親を助けたかった
  • 加害者の家族はどうやっても幸せになってはいけないのだと思い知らされた

確かに加藤の母親は病的なまでのスパルタ教育を行っていました。それで歪な人格が形成されたのは事実かもしれません。
しかし、だからといって、それが原因で殺人鬼になるのは話が飛躍し過ぎています。実際に加藤本人も否定しています。

まして弟には何の落ち度もありません。なぜ自殺するまで追い込まれる必要があったのでしょうか。

被害者の家族はもっと苦しんでいる。多くの人が必ずと言って良い程に不幸の比較をします。

しかし、不幸を比較すること自体が間違っています。両者の不幸を同時に味わわずに比較なんてできるわけがありません。いや、したとしても無理でしょう。

世間から疎まれ、逃げるように職場を転々とし続ける。プライベートなんてどこにもない。
これを不幸と言わずに何と言いましょうか。僕はこんな生活に耐えられる自信がありません。

親は最後まで子の味方であり続ける

「旭川女子高生殺人事件」を起こした内田被告の母親、「江別市大学生暴行死裁判」を起こした川村被告の父親。そのどちらも僕は悪者に見えませんでした。

内田被告は母親の証言を聞く際に涙を流していますし、川村被告の父親は娘のいじめ問題で娘と対話をしていた。

そもそも周囲が全て敵である裁判所に出廷した。この事実を無視して良いはずがない、彼らもまた事件に向き合おうとしているのです。

彼らの本性は想像することしかできませんが、少なくとも不誠実でないことは確かです。いわゆるどうしようもない毒親ではないとも思います。

そして、今もまた彼らは子を守ろうとしている。そう思わずにはいられません。なぜなら世界中が敵になっても親だけは子の味方であり続けるから。

事件を憎む先に何を考えるか

こういう事件があった時、僕はいつも想像します。もし僕や家族あるいは親友が凶悪な事件を起こしたらどうするか。

あり得ないことはあり得ません。「江別市大学生暴行死裁判」は若者の集団心理が行き過ぎた末の結果であり、最悪な形での「若気の至り」です。本人たちは前日まで人を殺すなど考えてもいなかったはずです。

だからこそ自問します。この事件を追い続けるならば義憤を感じた上で、当事者の気持ちを考え続けます。

被害者家族になった場合は至極単純です。地獄のような苦しみを死ぬまで、いや死んだ後も与え続けて欲しい。なんならこの手で与えてやりたい。そう考えることでしょう。

ですが、加害者家族になった場合は想像がつきません。いえ、想像すらしたくありません。それ程までに恐ろしいことなのです。

だから僕は加害者家族を責める気にはなれません。彼らに事件の原因はなく、すでに地獄のような苦しみの中で生きているから。追い打ちをかけるなんて僕にはできない。

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